春近し
朝の気温がマイナス5度。雪は降ったが快晴下すぐ溶けていく。
ふと見たら、大~~きなメス猫の後ろに小さなオス猫がしがみつき、繁殖動作をしている。メス猫はあくびをしていた。
もう春なんだな~。
10年前に購入した「誰にでも分かる世界経済」を残しておいた。ま~いわゆる私程度でも理解できる内容の新書ですね。
当時は「BRICS」が注目を集め、それらの途上国の経済活動を礼賛し、このままでは日本が取り残される可能性があると警告していた。今になれば、それらの国の経済は国家破綻まじかの様相だ。つまり現在の状況にマッチしない本なので、要所だけ読んで廃棄処分にした。
それらの国の特徴として、石油などの鉱物資源を輸出し繁栄してた訳で、高度の産業技術を伴っていなかった。その頃中国への投資が活発で、世界経済は中国に依存した大きな動きになった。得意満面の中国のやったことは、一例としてマンションを無茶苦茶作り、今になればその部屋の面積が大阪府と同じほど売れ残っている。その他軍備の増強つまり無駄な経済活動になり、世界は踊らされた。
マンション団地には高速鉄道の駅を作り、それに付帯したショッピングモールを準備した。もちろん高速道路も整備する。それらの巨大プロジェクトのために製鉄所などを作った。その資源確保のため、世界各地に投資し鉱山をいっぱい確保した。今となれば製鉄所は日本の4倍の生産量に匹敵する余剰設備を抱えてしまった。中国が停滞したことで、それらの投資対象になった資源国や鉱物資源を中国へ輸出していた国は収入が大きく減った。
それらの余剰設備を生かすためにAIIBを作り、一体一路構想を打ち上げた。構想は中国らしくて雄大だが、泥縄式の感を強くする。
世界的な規模で考えるのは似つかわしくないので、私的な経済にします。生活の向上って・・今のままで良いです。高気密の住宅で温度管理し快適に過ごしたいと考えたこともありませんし、高級車も必要ありません。
ここ秋田の環境では、ストーブは必要でもクーラーは不要だし、自然のなりわいに身を任せて生きるのが最善と考えています。今より生活を向上させて何なのか、頭をひねってしまいます。
稼ぎが悪かったらレベルを落として生きれば良いと考えます。昭和30年代を生きてきた私には、今の生活が贅沢と感じます。まったく物足りないと感じられると思いますが、65才の年齢のせいかな?
シールズと高校生反戦デモに思う
これらの若者の活動に、体の粘膜に砂を擦りこむような居心地の悪さを感じる。もしかしたら私の若い頃と同じなのかな?の思いを持った。
彼等の年代の頃、世の中全部がひっくり返れば良いのにと思っていた。今思えば、未熟な自意識の強さだったと断言できる。
大人を恐れていた。経験からくる大人の知恵は、子供が思うように簡単に得られるものではありません。知恵の集積が強固な社会を作り、稚拙な若者が参入できる余地は無いと感じていました。そこでやったことは、弁で煙に巻くことで自分の存在を訴えること、無力でした。格好悪かった。
家業の家具屋を継ぐことが当然として育ちました。家具を作るには、のこぎり・カンナ・ノミなどの道具が必要で、あれば良いと言うものではありません。種類があり、道具の手入れのために、研ぐや目立て技術が求められます。それは習ったからすぐにできる技術ではありません。習得には創意工夫が必要で時間のかかる地味な作業の連続です。わたしにとって苦しい日々でした。結局、おいらの適正じゃないと逃げました。
その後現職に至るのですが、魚の鮮度を見極めたり、麹の湧き具合を結論づけたり、家具と業種が違うとはいえ、創意工夫経験が必要であることに違いはありません。それで初めて社会の底辺になれるのです。
サラリーマンも忍耐経験を経る。決して気楽に生きられませんし、みっともない事を積み重ねて、社会の礎になるのです。
鐘や太鼓を鳴らして社会が認めることはありませんし、変わることもありません。わたしたちの気持ちとかけ離れたところで安保法案が可決されたと騒いでも、君たちが多くの意見を集約してるとは思えません。
国会前で鐘太鼓を鳴らすのは、仮想敵国の連中がほくそ笑むことになってると認識し、仮想敵国の大使館前でやっていただきたい。矛先が違うよ。
仮想敵国が近隣諸国になにをしてるか、その認識が先ですよ。言っときますが私は戦争は嫌です。しかし領海侵犯を平気ですることができないよう準備は必要と考えます。
イライラ
夕方「シブ5時」が始まる。夕食が5時なので、目に触れる機会が多い。これらの話題から日記を書くと楽ですね。きのうはイライラへの対処法でした。
最近はイライラすることが少ない。年齢とともに出来ることの判別がハッキリし、自分の能力に引導を渡したせいだろう。以前はイライラの垣根が低く、プッツンする頻度が高かったな~。世の中自分の思い通りにはなりません、ま~未熟ってことですね。
イライラの極みをご紹介します。ふだんはニコニコしてる人物像を描かれていると思いますから、かえって恐ろしいかもしれません。15年前の夏の夜でした。
いつまでも仕事が終わらず、夜食をとりに近くのラーメン屋さんへ。小上がりにいる白いスーツを着た男が、連れの女を大声で叱っています。嫌なムードでしたが、素知らぬ顔でカウンターへ。ラーメンを食べ始めましたが、男の怒声は止まりません。それでイライラが始まり、破裂しました。
「うるさいよ」と上品なバリトンで穏やかにつげたら、「なんだ、このやろう!」とこちらに向かって来たのです。恐ろしくて、低くタックルを入れたら、男はバランスを崩し、後ろへたたらを踏みながら仰向けざまに窓から外へ落ちてしまいました。
打ちどころが悪ければ死ぬな~まずいな~と息を呑んでたら、店の入口から元気よく「やりやがったな~!」。先に向かって来たことを忘れ、私が加害者の如く振る舞う態度は許せません。掴みかかってきたので、体落としで投げ飛ばしました。
「もっとやりましょうか?」と丁寧にお尋ねしたら無言。勘定を済ませ、態度は悠然としつつも慌てて帰りました。
「大変だったのよ~」とラーメン屋の女将。「あいつは誰だ~と騒ぐし~、警察呼んだら、引っ張られて行ったわ~」
警察関係のみなさん!これは正当防衛ですよね?ね~安部さん!!
女将さんは弊社の大事なお客様でもあります。
少しかわいそうな気もする。
イライラ解消には、3秒かけて息を吸い、2秒止める。その後5秒かけて吐き出すのが効果的とシブ5時で話してた。当時この方法を知っていればと悔やまれる。
本棚の整頓をした。ま~いわゆる断捨離ってことでした。
購入以来一度も読んだことの無い本もあるし、隠れ飲みしたビールの空き缶が、家内に見つからないよう奥深くしまってあったり、はたまたベポラップ(風邪の緩和用)や耳かきもあるし、どうして本箱に入れたか意味不明な名残りの積み重ねで混雑の極み。いくら無頓着な性格でも限界がある。
見出しに踊らせれて買った本はおおむね半分読んで奥深く鎮座。「衝動買いは良くないな~」などと呟きながら本棚から全部引張だした。小さい箒でホコリを落とし、充電式の小さい掃除機で吸う。たくさんあるのでとても面倒だが、部屋いっぱい広げたのでやるしかない。
再読候補と、今一度読むのと、すぐに廃棄の三種に分ける。
捨てたのはゴルフのレッスンとかエッセイとかで50冊ほどか?「村上春樹」は「1Q84」「遠い太鼓」だけ残し廃棄ダンボールへ・・。結局大きなダンボールいっぱいで、重くて持てない。廃棄数は結局100冊くらいだった。
資源ゴミにするのは勿体無いので、男鹿みなと市民病院受付ロビーの本棚へ運ぶ。以前からある本を、ぐい~~と寄せ、作者別とジャンル別に分けて
飾る。「笹渕文庫」と名づけても良いが、寄贈した本が偏った性癖を表しているようで断念した。
先の寄せた本の中に北方謙三「三国志⑦」があった。数年前に寄贈したもので、全14巻がどうして⑦だけなのか頭をヒネる。全部持っていったら良さそうなものだが・・。
司馬遼太郎さんのは捨てずにあります。今でも「坂の上の雲」「花神」「峠」「項羽と劉邦」「胡蝶の夢」などは年に一回は必ず通読。その合間に別のを読んでいる感じです。国を作るダイナミックさは心を惹起させるものがあり、大好きだ。それに比べれば私小説はどうも苦手というか、どうでもいいや。
司馬さんの次が見つからない。凌ぐ作家はもう出そうもないので、最近は新書の購入が多い。これは時間が経つと価値が無くなるものが多い。「日中韓」の問題とか「経済」ですね。次の整頓しだいでみなと市民病院は新書類で埋まりそうだ。
駄目で気づく無力感
水道料金7万円の請求がきた。管が割れてすこしづつ漏水してたようで、慌てて工事を頼んだが不便この上ない。炊事のときは元栓を開け、終わり次第締める。本当に参ってしまう。
子供の頃は町の角に共同の水道があり、桶で自宅まで運んだものだ。それで不便だったかといえば、全世帯おなじなのでなんともなかった。
シブ5時で便利な冷蔵庫が紹介されていた。スマートホンで中の在庫が分かり、不足なものを調達する機能が付いているそうで唖然とする。こんなに至れり尽くせりでは知恵が衰えてしまう。早い話が、トラブルに対応できない馬鹿を醸成するようなものだ。
携帯電話も便利ではあるが、このことで一日の段取りをおろそかにすることがままある。いつでも連絡できると思うので、忘れたことがあっても携帯で作業の指示をする。が、進行してるのをぐい~~と路線転換させるので、現場では混乱を招いているようで、弊害が多い。便利なのは、新橋駅前で同級生の渡辺と待ち合わせし、姿が見えないと「今どこにいる?」「電車の前だよ」「おれ、後ろにいるものな」で電話を切り、お互いの場所へ動くので結局もう一度電話し「おれ動くからそのままで・・」。携帯は助かるね・・?
便利なことは良いが、本能が削がれているようで釈然としない。
洗濯機が使えないので、作業場ので洗うことにした。魚を拭くタオルや軍手専用なので、ハイターで殺菌した。ニオイは移らないと思うのだが・?
藻場作り・再掲
訂正し一部再掲載しましたので、11日のはポイしてください。
先月末「藻場づくりによる環境保全と地域活性化に向けて・」をテーマに会合があり参加しました。弊社のお客様からご案内され、出かけることにしました。チラシには「藻場調査報告」「漁師&市民&行政」とあり、水産振興センターの方も出席とのこと。お尋ねしたいこともあり「必ず行きます!!」
二十数年前、三陸でカキ養殖をなされてる畠山さんが「森は海の恋人」で、豊かな海は、豊かな森があってこそ!と全国各地を飛び回っていました。男鹿にもおいでになり感銘を受けました。そのことも念頭にあり、様子伺いで出かけました。
海中撮影の映像にショックを受けた。日本で一番のハタハタ漁場、北浦相川地区の海草がまばらで、ハゲ山なんです!これでは近年不漁の一因もここにあるだろうと考えてしまう。
http://www.fish-jfrca.jp/02/pdf/pamphlet/093.pdf日本水産資源協会・わがくにの水産業「はたはた」13Pをご覧ください。
水産振興センターのおさかなくんこと中林先生に、男鹿でもこの取組がなされているかと尋ねたら、
「打ち上げられたブリコをカゴに入れてふ化させる取組は、実は男鹿発祥の方式です。ブリコが多い年には、北浦や戸賀で行われています。」
「漁網方式ですが、これは「ホンダワラ」を漁網に植え付けるのではなく、漁網にブリコを産み付けさせるものです。これは象潟発祥の方式ですが、昨年は男鹿脇本で初めて実施されました。」
もう十数年もハタハタ漁に密着してきた。近年の時化は以前より大型化し、長期化している。それも海中の藻を奪い去る原因と思う。中林先生、どうか漁網にホンダワラを入れ、ハタハタのベットルーム(藻場)を作ってください。人口藻場でハタハタの環境を良くするよう手がけてください。お願いいたします。(上記URL資源保護協会の13pの⑤)
「漁師&市民&行政」の行政からは、渡部市長と菅原県議もいるので、後押しは万全だろう。ついでに「水産振興センターで予算不足だったら、県で予算つけてくださいね・・管原県議!」「健ちゃん任せなさい!」。
このお話を強くフォローなされたのが松田先生。「人工でも藻場があれば、その近辺には自然に藻が増えるものです」
松田先生ご紹介 ・必見 http://www.a-iju.jp/page/voice/924
ユネスコ無形文化遺産登録申請
NHK渋5時で、「男鹿のなまはげ」他6件を申請したと報じていた。なまはげ他というのが大変よろしい、つまりNHKの見識の高さを表すものだ。やはり聡明なNHKならではの、なにが大事かの順序が正当であることに好感を持てる・・アハハ。
ユネスコだが問題もある。「教育・文化・科学」の発展と推進をテーマとしているのにかかわらず、「南京事件」や「慰安婦」の記憶遺産に登録を図ろうとした。中国や韓国の申請を、学術的検証も行わず申請を受理した。
これは政治的行為であり、とてもユネスコの活動として許容できるものではない。日本は分担金を四分の一負担しているが、脱退してもいいのではと考えていた。
「男鹿のナマハゲ」を速やかに登録し、政治的行為から離れて本来の仕事に邁進していただきたい。
サボっているのに・・
アクセスカウンターに訪問者数が表示される。サボっているのに・・申し訳ありません。
え~とですね・・忙しいほど書けますね。気合が入ると頭の回転が良くなるようです。現に、暇なときほど仕事上のミスが多発します。
さてと・・・何を書こうか??う~~でてこない・・・う~~。
百田尚樹さんの「大放言」に「ブログ」の項があった。開設してる人が大変多いそうだが、すぐに書くことに詰まり愕然とすることが多々あるそうだ。つまりキャパが少ない証明で、続けるために日常を綴るが、日々やってることが同じ。そこで、変化のある「食べ物」に移行するが、専門家じゃないので誰がこんなの見るだろうかと自責にかられ苦悶するそうだ。わたしの実情を言い当ててるようで、悔しいが納得。
日記を書き始めて5年かな?長期間よく書けたと思う。頻度の多かったのがハタハタで、漁とそれを取り巻く人間模様。これは毎年同じようでも、都度楽しい。その後「恋」「ゴルフ」を中心に書いてきた。一番書きたいのが他人の悪口だが、ここ男鹿市内に読者がかなりいて、波紋が大きくなれば済みづらくなるのでご法度。あ~~口がムズムズする。
高校時代、卒業紙の編集責任者になった。差し障りのある内容を多少書いたら、担当の先生からクレームが入った。とても好きな先生の注意だったので撤回したが、あとがきで「寒くて唇が寒いな~」。苦笑いしながら見つめる先生の目が優しかった。
このあと、どのようなことを題材にするか悩んでいます。
なんか癒されるる写真ですね。モノクロだからかな?
書かなきゃいけないと思いつつ、時間がドンドン過ぎてゆく。これじゃいけないと思いつつ写真を整理してたら、黒須さんのが見つかった。以前送られてのを忘れていた・・申し訳なし。これらは仕事先アメリカ西海岸でのショット。黒須さんから「気持ちがブルーの時にどうぞ!」とのコメントが添えられていましたな~。
16日横手まで走った。雪は降るし、路面は走りづらい。男鹿半島は横手と比較すればとても住みやすい地域ではなかろうか。ましてここ船川地区は南に面して暖かく、雪もすぐ溶ける。内陸の難儀からすれば、寒いなどの小言は禁物ですね。今回は息子も一緒で、取引先の場所など説明しながらの出張。横手から角館経由田沢湖だったが、あまりの雪で横手だけでやめた。
「横手やきそば」だが、ストレート麺をスープで食べる感覚が新鮮。とてもおいしかったが少し塩っぱい。一般に内陸は味が濃い傾向にあるそうだ。
以前弊社の寿しを食べていただいたら、味が無いと酷評されたことを思い出した。「甘くも、しょっぱくも無い!」。地域で大きく好みが分かれるので、寿しの商圏は秋田県中央部に限定される。
昨年末、寿しの製造法を教えてくださいと秋田市の佐藤さんからメールがあり、包み隠さず全部伝授しました。その後のメール一部ご紹介します。
さて1月14日に鰰鮨の仕込みを終えました。明日1月28日で2週間になります。笹渕さんのレシピ通り8掛けの酢、砂糖、塩、麹は400gで漬けました。結構柔らかい感じになりました。汁が出ましたが、桶から溢れるまでには至って居ません。28キロの重石をしてます。レシピでは、最初15キロ翌日15キロ計30キロとなってますが。鰰の量が少ないので、あまり重ければ固くなってしまうかと、、、、個人的には固めが好きなんですが、、、、酢、砂糖、塩、を8掛けにしたからなのか?汁を舐めてみても酸っぱいとか、しょっぱいとかの感じが有りません。
味が薄かったのか?経木の味が強いかも?これから毎日舐めて、甘~くなるんでしょうか?小屋の中で見た感じ、汁が少し濁って居るような、、、、過日ボツリヌス菌の危険を聞き忘れました。その辺の事も詳しく分かれば良いのですが、プロの笹渕様がそこまで詳しく教えてくれる訳じゃ無いと思いますが、、、人参3キロだと、人参臭くなると思い、(人参が嫌い)少な目にしました。これからの管理のご指導をお願い出来ますか?
鰰鮨漬けて3週間になりました!毎日夢を見ます!ご飯も麹もザラザラで生!ご飯は炊いたのに生米!麹も固いまま!汁の味を毎日舐めても何にも変わらず!何時に成ったら「甘~く」なるのか?その、甘~い感じが分からないから、、、、これで良いのか?まだなのか?早く桶上げしたい気分です!
もし、麹が慣れて居なかったら、洗って漬け直しはOKですか?鰰を洗って、水切をして、人肌よりももう少し熱い温度でご飯と麹を混ぜて、、、、、駄目か?失敗か?毎日失敗の夢で目覚める毎日です!商売をしてる訳でもないのに(趣味的に好きな食材)どうしてこんなに、、、、桶はどこに注文すれば買えますか?もう毎日鰰鮨が気になって、、、、、、、気が狂いそうです!助けて下さい!
寿しを作るのは酵母菌の仕事で、いったん仕込めば手直しはできません。それが辛いですね。お気持ちは良く分かります。
この日記で、読者のみなさんに男鹿風寿しの漬け方をお知らせいたします。少し時間くださいね。
海の森づくり
「どんな按配ね?」と軽い叱責・・江戸川・三浦さんからだった。なるほど、日記全然書いてないものね。
最近ユーチューブで中韓のことで心を痛めていまして、ドツボにはまってしまい、それに関する新書も7冊ほどになりました。結論から言えば話して分かるお国じゃないので、仲良くなくてよろしい。少し投げやりでしょうか?配慮しても「おんぶに抱っこ・・まだ他に無いの?」ですから・・。
先月末「藻場づくりによる環境保全と地域活性化に向けて・」をテーマに会合があり参加しました。弊社のお客様からご案内され、出かけることにしました。チラシには「藻場調査報告」「漁師&市民&行政」とあり、水産振興センターの方も出席とのこと。お尋ねしたいこともあり「必ず行きます!!」
二十数年前、三陸でカキ養殖をなされてる畠山さんが「森は海の恋人」で、豊かな海は、豊かな森があってこそ!と全国各地を飛び回っていました。男鹿にもおいでになり、感銘を受けました。そのことも頭にあり、様子伺いで出かけました。
海中撮影の映像にショックを受けた。日本で一番のハタハタ漁場、北浦相川地区の海草がまばらで、ハゲ山なんです!これでは近年不漁の一因もここにあるだろうと考えてしまう。
http://www.fish-jfrca.jp/02/pdf/pamphlet/093.pdf日本水産資源協会・わがくにの水産業「はたはた」13Pをご覧ください。
水産振興センターのおさかなくんこと中林先生に、男鹿でもこの取組がなされているかと尋ねたら、現在はなされて無いとのこと。取り組みは可能かとお伺いしたら、③は億単位だが、漁網に植え付けるのは低予算でも可能とのこと。「取り組んでいただけないでしょうか?」「やってできないことはありません。」そこで、参加者に伝えることにしました。全員が納得。
「漁師&市民&行政」の行政からは、渡部市長と菅原県議もいるので、後押しは万全だろう。ついでに「水産振興センターで予算不足だったら、県で予算つけてくださいね・・管原県議!」「任せなさい」。
このお話を強くフォローなされたのが松田先生。「人口でも藻場があれば、その近辺には自然に藻が増えるものです」
松田先生ご紹介 http://www.a-iju.jp/page/voice/924
もう十数年もハタハタ漁に密着してきた。近年の時化は以前より大型になり、長期化する。それも海中の藻を奪い去る原因と思う。中林先生、どうか人口藻場で増殖を手がけてください。お願いいたします。
姉弟喧嘩?
近所の姉へ遊びに行った。もう70才を超えたが太極拳をやっているので股関節が柔らかく、四股を踏むこともできる・・立派だ。もちろん私も四股くらいはできるので、同じく立派だ。それで茶の間で、一所懸命ふたりで四股を踏んで優劣を競う。
それから剣舞もやってるそうで、鞘付きの刀がある。プラスチック製なので危険はないが、突然「健一・・切るぞ~~!」と襲いかかられた。突然のことで慌てつつも軽やかに身をかわす・・アハハ女なんかに負けてたまるか。
そこへ東京の姉から電話が入ったので、「姉が叩きにくるんだよ・・」と告げ口をし、それでみんなが大笑い。
5人の姉がいて、わたしは6番目で長男。なにしろ待望の男の子だったので、大変大事に育てられた。親も姉にそれを強要しただろうし、面白くなかっただろうと、今思う。
そんな訳で、その恨みがおもちゃの刀で斬りつける暴挙となった・・・と、思う。アハハ
他人の親
「フェラガモ」「グッチ」「アルマーニ」とかのブランド品のお話で新年会は始まった。みなさん研究されてまして、無縁の内容なのでニコニコするばかり。私は着やすいものであれば何でもいいので、特にこだわりがなく、全部家内が準備したものばかり。なるほど少し着衣に関心を持つのも楽しいかもしれない。
メンバーの親が年末に享年93才で大往生。長寿を全うして幸せである。私の父も93才で亡くなったが、母は中学一年生のとき私の目の前で倒れた。とても悲しくて、いまでもそのことを思えば身が捩れるような感覚になります。
テニスの後輩から寿しの注文が入った。返信で「お母さん元気ですか?」「昨年亡くなりました」。彼の兄は私と同級生。そんなことで高校時代はよく自宅へ遊びに行った。母親は自分の子供も私も分け隔てなく可愛がってくれた。新年会のメンバーの母親もそうだった。お互い家庭の事情は把握してるので、早くに母をなくした心情を察してくれたと思います。
今でも仲良くお付き合いしてる同級生の父親が年末に亡くなったと聞いた。彼女も寿しを注文してくれたので、ありがとうのメールをしたが返信が無い。変だな~と思っていたが、そんなことがあったとは・・。
彼女はとても性格が良く、大切な友人です。20才ころ自宅へ遊びに行ったら父親がいた。とてもニコヤカに対応していただいたが、この親あってこの子ありと感じた。
65才になり、親の話で時代の区切りを感じること多々ある最近です。